韓国ドラマ・太王四神記(太王四神紀)(태왕사신기)を見る前に、歴史的背景知識を頭にいれておこうというこの企画。広開土大王(광개토대왕)の姿が徐々に浮かびあがってきた感じもします。広開土大王の時代の版図が最大であったらしいのですが、いったいどのぐらい大きかったのでしょうか。韓国のポータルサイトNAVERにある百科辞典(백과사전)で広開土大王(광개토대왕)を調べてみる-(광개토대왕、左の文字をコピー&ペーストして検索してみてください)-と、現在の朝鮮半島の3分の2と中国にも領土が及んでいたことが分かります。今回も前回からの続きと言うことで、www.kbs.co.krから引用させていただきます。
뛰어난 전략가였던 광개토대왕
すぐれた戦略家だった広開土大王
일반적으로 광개토대왕 때의 영토는 요동지방 정도로만 알려져 있다.
一般的に広開土大王時の領土は遼東半島ぐらいまでしか知られていない。
하지만 고구려의 세력권은 우리가 흔히 알고 있는 것과는 달리 북부여와 동부여, 지금의 내몽고지역인 비려까지 고구려의 영향력아래 있었다.
しかし、高句麗の勢力圏は我々の認識とは違い北扶餘と東扶餘、現在の内モンゴルの碑麗まで高句麗の版図であった。
광개토대왕은 도대체 어떻게 이 넓은 영토를 확보 할 수 있었던 것일까?
広開土大王は一体どうやってこの広い領土を確保できたのだろうか?
삼국사기의 기록을 보면 ‘광개토대왕은 용병술이 능해서 감히 나가서 싸울 수 없었다.’ 라고 되어있다.
三国史記の記録を見ると、「広開土大王は用兵術が巧みで、敢えて前線に出て戦うことはなかった」とされている。
전쟁에서 광개토대왕의 진면목을 알 수 있는 기록은 즉위 6년에 벌어진 백제와의 전투에서 확인할 수 있다.
広開土大王の戦争におけるありのままの姿を知ることのできる記録は、即位 6年に起った百済との戦いで確認することができる。
광개토대왕의 할아버지인 고국원왕을 전사시킨 백제를 치기 위해 군사를 일으켰고, 당시의 전략은 누구도 생각지 못한 기발한 것이었다.
広開土大王の祖父、故国原王を戦死させた百済を打つために軍事行動を起こし、戦略としては当時誰も考えつかない奇抜なものであった。
일반적인 진격로를 벗어난 공격으로 백제의 허를 찌르고 광개토대왕만의 뛰어난 지략으로 백제와의 전쟁을 승리로 이끌었던 것이다.
一般的な進撃路から外れた攻撃で百済の裏をかき、広開土大王ならではのすぐれた知略で百済との戦争に勝利を導いたのだ。
まだまだ先の長い勉強ですが、広開土大王(광개토대왕)に関する膨大な量の情報を頭にいれておけば、きっと12月にNHKのBSチャンネルで始まる太王四神記(태왕사신기)はきっと楽しめますよ。