韓国ドラマ・太王四神記(太王四神紀・태왕사신기)が日本で12月3日から放送が始まりました。「韓国ドラマ・太王四神記(태왕사신기)のあらすじを韓国語で読んでみる」ではドラマのあらすじを読み、そしてこのブログ「韓国ドラマ・太王四神記(태왕사신기)を見る前に、高句麗(고구려)と広開土王(광개토왕)の歴史を調べてみる」と「韓国ドラマ・太王四神記(태왕사신기)を見る前に、ちょっと歴史のお勉強」では高句麗の歴史を勉強してみようとブログを書いています。www.kbs.co.krから記事を引用させていただき、それを日本語に翻訳したものです。受験勉強のような歴史の勉強とはいきませんが、この記事のなかに書かれているひとつひとつの名詞から、なんとなく歴史的な空気というのか臭いが感じられます。もうちょっとヘビーな情報が欲しい方は、日本放送出版協会から出ている「古代朝鮮」(井上秀雄著)という本があります、いささか古いですけど・・・。それから「マンガ ものがたり韓国史〈1〉-檀君神話から統一新羅まで」といったものもあります。ざっと高句麗(고구려)と広開土王(광개토왕)の歴史を頭に入れてしまうのにはよいかもしれませんよ・・・。
농안이 고구려의 마지막 진출지역이라는 학설은 사실인가?
農安が高句麗の最終的な進出地域という学説は事実か?
농안의 북쪽은 드넓은 평원지대이다.
農安の北は広い平原地帯だ。
과연 고구려는 눈앞에 펼쳐진 평원을 두고 보기만 했을까?
果して高句麗は目前に広がる平原をはさんで傍観してたのだろうか?
고구려는 부여를 정복했고 농안은 그 중심지였다.
高句麗は扶余を征腹し、農安はその中心地であった。
따라서 부여지방의 끝을 알면 고구려가 어디까지 진출했는지 알 수 있다.
したがって扶余の領土の最端が分かれば、高句麗がどこまで進出したのかが分かる。
“부여는 남쪽으로는 고구려, 동쪽으로는 음루, 서쪽으로는 선비에 접하고 북쪽으로는 약수가 있다. “
「扶余は南に高句麗、東にウムル(음루=Evenk・エヴェンキ)、西は鮮卑と接し、北に薬水がある」
-삼국지-
-三国志-
이것은 부여의 끝 지역을 확인할 수 있는 유일한 기록이다.
この記録が扶余の領土の最端を確認できる唯一のものだ。
그러나 문제는 기록에 쓰여있는 ‘약수’라는 지역이 지금까지 정확히 어디인지 밝혀지지 않고 있다는 점이다.
しかし問題は記録に書いてある「薬水」という地域がどこなのか、今でも正確な位置がはっきりとしていない点だ。
이것은 고구려가 어디까지 진출했는지 기록상으로는 알 수 없음을 뜻하는 듯 했지만 탐사단은 고구려의 흔적을 찾아 중국 농안의 북쪽으로 향했다.
これは高句麗がどこまで進出したのか記録の上では確認できないことを意味することでもあるが、調査団は高句麗の痕跡を捜しに中国農安の北へ向かった。
高句麗を追っていくと中国に入ってしまいますね。中国語の知識も必要になりそう・・・。これは大変。中国に対する心の準備もしておきましょう、続く・・・。