英作文講座-非論理的な日本語を論理的な英語にするとはどういうことなんだろう

 普段わたしたち(日本人)は日本語を話して生活しているわけですが(当たり前の話ですが・・・)、主語・目的語・場所など無意識のうちにというよりか、話の筋や文脈、状況判断で理解しているわけですが、これは日本という国で同じような行動パターン、同じような道徳意識、同じような思考パターン、同じような美意識を共有しているおかげでコミュニケーションが成り立っているんじゃないかと思うんですよね。でも、これは平和でのんびり、なにかと緩い世の中だった時の話かもしれませんね~と、最近じわじわと実感してきている、今日この頃。

 なぜかといえば、「責任の所在」を引き受けなくてはならないのが、会社ではなく個人に比重が高くなりました。村的な会社は分かりませんが、「個人責任」、自分で犯したミスは自分で処理・解決をしなさい、自分で責任取れということなんですね。以前でしたら、課長か係長のあたりで、「誠に申し訳ございませんでした、今後このようなことがないように指導を徹底いたします」で済んだ話が、今は「これは誰がやったミスなんだ」と、消費者から直接来るものが多くなりましたから、主語を使わざるを得なくなってしまいました。これからは今まで以上に主語を意識した日本語を使う訓練が必要になってきそうですよ。

 話は長くなってしまいましたが、以前知り合いの方のコンピュータのテキストを英訳したときに気づいたのは、英語には必ず「主語」が必要なんだと。これがないと話が始まりません。誰が・いつ・どこで・なにを・どのように・したのか、これからするのか、いましているのか、今までずっとしてきたのか、そうしようと思っているのか、常にそれを意識して英語にかからないと英語の文章が書けません。それと、冠詞の「a」「the」の使い分けも必ず意識しておかないといけません。まだまだありました、動詞もそうなんです。ここはtakeかputかgetを使うのか、make? have? get?などなど根本の意味を理解するのも必要。簡単に言ってしまえば英語頭で考えなさいということですが、ネイティブでもありませんので、とりあえず論理的にものごとを見て考える。5W1Hの精神でいけば、それなりに英語っぽい文章は書けるんじゃないでしょうか。それと日英訳なら、まず日本語のテキストを5W1Hに直す作業が必要になりますね。

 とりあえず川端康成の小説「雪国」の有名な冒頭の文をサンプルに、サイデンステッカーの英訳を見比べてみて、英語に訳す作業を見てみましょう。

 国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。

 The train came out of the long tunnel into the snow country.

 「国境の長いトンネルを抜ける」、誰が?何が? 人?物?。日本人の意識下では、国境でしょ、それに長~いトンネル、抜けてく感じはあれでしょ?と特に主語を意識しないでも状況とか雰囲気で分かるんですけど、英語頭にするとなにがなんだか分からなくなってしまう感じがします。どうしても主語が欲しくなるんですよね。主語がまずあって初めて次の段階に進める。

 主語は列車ということにしまして、ここで英語に必要なのが冠詞。不定冠詞にするか定冠詞にするのかが非常に大事。不定冠詞のaですと、漠然とあ~列車が走ってるなあという感じになりますが、突然定冠詞のtheがここでは使われますよね。前提条件もなくtheが出てくると、何か意味がありそうーだなあと思ってしまうんです。「列車は・・・」とくればただなんとなく通り過ぎて行くといったイメージなんですが、theが付くことによって「あの列車が・・・」となにかいわくつきのような気分になります。英語の文章で突然theを使うことはありませんから・・・。もしtheを使うとしたら、次にその説明のようなものが来るはずです。

 主語の次には構造的に動詞が来ます。ここはcameという過去形になっています。ここで過去形がくると、なにか回想的なものを感じますね。小説の主人公が今想念しているか、ナレーションのような雰囲気をかもし出しているといった感じを与えてくれます。ここでの主体は列車で、列車が過去においてたった今、the long tunnel-長いトンネルから、out of-出て、came-来た。でも、この列車ってトンネルを抜け出てきたのを誰かが見ていた状況を散文的に表したのか、誰かが乗っていた列車のことを言っているのかがあいまいな部分。前者でしたら、the trainの前にI sawを置きたくなりますし、後者でしたら、My trainなんてしたくもなりますが、そう訳してないところがうまいなあと思ったりも・・・。

 次のinto the snow country。intoがまた列車の動的な属性とあたり一面雪景色の中に列車が入ったんだぞという意味を付加してくれていますね。ここで前置詞のtoだったら、列車はトンネルを抜けたらただ時刻表どおりに次の停車駅まで走り抜けていく感じがしますが、inがあることによって雪景色に入り込んでいく感じがします。countryという響きも郷愁をさそいます。生まれ故郷とか田舎は英語でmy countryなんて言いますけど、表象性と具象性の意味がパラレルに折り合っていて、雪国ってイメージが壊れていませんね。

 この文章の味噌が効いているところは、定冠詞theでしょうか。普通突然theがくれば、What's?と聞かざるを得ないんですよね。でも、この訳文では敢えてtheを使うことによって、読者になんだなんだと期待感を抱かせる効果もあるんですよね。この場合のtheは、必ず後々意味が分かるthe。黙って最後まで聞きなさい、聞いていれば分かるからって感じでしょうか・・・。

 ちょっと評論家ぶってしまいましたが、英作文はつまるところ書き手の感性の取り方しだいなんでしょうけど・・・。論理的にならざるを得ないのは、同じ空間時間を共有していないからですよね。同じ空間時間をいっしょに過ごしていればなんとなく黙っていても分かるんですけど、まったく別の場所で生活していた者同士がお互いのことを話して理解してもらおうと思ったら、それなりに話す内容の補足説明は必要になりますよね。つまるところ、論理的というのはかなり社会が都市型で価値観が多様、非論理的言い換えればあいまいでも過ごせる社会というのは村型で価値観が単一的なんでしょう。

 英語でなにかを書こうと思うとかなり理屈っぽくなってしまいますね、日本人のわたしにはそう感じてしまいますけど・・・。