韓国ドラマ・太王四神記(太王四神紀・태왕사신기)が日本で12月から放送されるのにあわせて、高句麗(고구려)とはどういう国で、広開土王(광개토왕)とはどんな王様だったんだろうかとちょっと詳しく知りたくなりまして、今回の企画となりました。韓国語の勉強はもちろん、太王四神記の背景知識も知りたいところ。韓国というよりも朝鮮の歴史を簡単に知るには、「マンガ ものがたり韓国史〈1〉-檀君神話から統一新羅まで」を読んでみるのもいいかもしれませんよ・・・。今回もwww.kbs.co.krから記事を引用させていただき、それをエキサイトの翻訳ソフトにかけて軽く手直ししたものです。単語の意味は韓国のポータルサイトNAVERを使用しました。
고구려는 과연 대흥안령산맥을 넘었던 것인가?
高句麗は果して大興安嶺山脈を越えたのか?
탐사단은 고구려가 대흥안령산맥을 넘어 지두우로 진출했는지를 밝히기 위해 답사를 떠났다.
調査団は、高句麗が大興安嶺山脈を越えて地豆于に進出したかを明らかにするため、踏査に向かった。
대흥안령 중턱마을 수목구에 도착해 하루를 꼬박 달려도 산맥은 넓은 초원만을 보여줄 뿐이었다.
大興安領の中腹の村、樹木溝に到着。一日中車を走らせても見えるものといったら広い草原ばかりであった。
정상 또한 깎아지른 듯한 절벽이나 돌들이 가로막는 것이 아닌 드넓은 평지로 이루어진 특이한 지형이었다.
頂上周辺も切り立つような絶壁や岩が立ちはだかるのでもなく、広々とした平地からなる珍しい地形であった。
따라서 1300년전 고구려의 기마군단이 이 산맥을 넘는 것은 결코 불가능한 일이 아니었을 것이다.
したがって1300年前に高句麗の騎馬軍団がこの山脈を越えることは、決して不可能ではなかったはずだ。
또한 예부터 지두우는 명마의 산지였고, 말이 고구려군사의 핵심이었던 만큼 지두우는 광개토대왕에게 꼭 필요한 곳이었다.
また古くから地豆于は名馬の産地で、馬が高句麗軍の中核を担うのと同じぐらいに、地豆于は広開土大王に必要不可欠な場所であった。
그리고 초원의 길이 열려있는 이곳은 고구려의 북진에 있어서 굉장히 중요한 위치이기도 했다.
そして草原の道が開けたこの場所は、高句麗が北進するためには非常に重要な位置でもあった。
次回は삼국사기(三国史記)の内容に入ります。日本でいうところの「古事記」や「日本書紀」といったところ。だんだん高句麗(고구려)そして広開土王(광개토왕)の全容が明らかになってくるんじゃないでしょうか。なぜ北進しなければならなかったのか、そこのところの理由を知りたいんですよね。現在の世界政治の世界と同じように、より高い生活レベルを求めてということになるんじゃないかと思っていますが・・・。檀君が言うには、「われらの祖先は天の天帝である。天帝が子孫を世へお送りになってとき、人間を幸せにし心に徳が育つようにしてやりなさいとおっしゃった。そして天帝は天の光を広く伝えるようにともおっしゃった。私は仰せの通りにしようと思う」-マンガ ものがたり韓国史〈1〉-檀君神話から統一新羅までから。神話の世界の表現から現在の政治社会と同じ意味は読み取れるのかどうか、そう意味がとれなくもないようでいて、そうでもないようで・・・。なんとも今あたりの解釈の仕方は難しいところですね。