韓国ドラマ・太王四神記(태왕사신기)をNHKBSで見ながら、高句麗(고구려)と広開土王(광개토왕)の歴史を勉強してみる

 韓国ドラマ・太王四神記(太王四神紀・태왕사신기)の歴史的背景となっている、高句麗(コグリョ-고구려)と広開土王(광개토왕)。今回は高句麗の人がどんな顔をしていたかが、けっこう写実的に見られます。こういう顔をしてたんだーと、なんとなく感無量・・・。壁画の人物画像を見ると、モンゴロイドで仏像の顔そっくり。仏像を作るときは、だれかモデルになる人がいたんじゃないかと思ってしまいます。壁画を見るならこちら-韓国のサイト(www.goguryeo.org)にある古墳壁画-고구려 고분벽화(Tomb Paintings of Goguryeo)で安岳3号墳(안악3호분)の壁画が見れますよ。被葬者とおぼしき人物画像もあります。この時代としてはかなり写実的な表現ではないでしょうか。日本の肖像画もこんな感じですよね。その時代の流行というのか、芸術ならモード、なになに派なんてのがあったんでしょうかね・・・。今回もwww.kbs.co.krのサイトから引用させていただきます。


 안악3호분의 주인은 과연 누구인가?
 安岳3号墳の主(あるじ)は果して誰か?

 고구려 고분벽화 가운데 가장 크고 화려한 황해도 안악3호분은 발굴된 지 50여 년이 지나도록 풀리지 않는 수수께끼가 있다.
 高句麗古墳の壁画の中で一番大きく華麗な黄海道の安岳3号墳は、発掘されてから 50年余りが経つものの解けない謎がある。

 그것은 바로 이 무덤의 주인이 누구인가 하는 것이다.
 それはまさに、この墓の主(あるじ)が誰かということだ。

 높이가 6m에 달하고 길이가 무려 33m에 이르는 안악3호분의 벽화는 그 내용이 다른 무덤에서 발견된 벽화들에 비해 굉장히 풍부하다.
 高さが6m、長さが実に33mにも及ぶ安岳3号墳の壁画は、その内容が別の墓で発見された壁画と比べて非常に多い。

 그런데 이렇듯 크고 화려한 무덤에는 과연 누가 묻혀있었던 것인가?
 ところで、このように大きくて華麗な墓には、果して誰が埋葬されていたのか?

 벽화가 그려진 고구려의 무덤은 모두 100여기 정도가 있다.
 壁画が描かれた高句麗の墓は、全部で100基あまりある。

 그 중에서 평양부근에 있는 덕흥리고분을 제외하고는 아직 주인이 밝혀진 무덤은 없다.
 その中で平壌近郊にある德興里古墳を除いて、墓の主(あるじ)はまだ不明だ。

 무덤의 주인을 알려 줄 수 있는 묘지명이나 그 외 주인을 유추할 수 있는 단서가 무덤 안에 남아있지 않기 때문에 그에 대한 연구가 전혀 이루어질 수 없었던 것이다.
 被葬者のわかる墓誌銘や、その他被葬者を類推できる手がかりが墓中に残っていないため、研究が全く手付かずになっていた。

 그런데 유독 안악3호분만큼은 발굴된 지 50년 동안 남북한의 역사학자는 물론이고 일본과 중국의 학자들까지도 이 무덤의 주인에 대한 논쟁을 계속하고 있다.
 ところで、ただひとつ安岳3号墳だけは発掘されてから 50年間、韓国と北朝鮮の歴史学者はもちろん、日本や中国の学者までもこの墓の(あるじ)に関する論争を続けている。

 과연 안악3호분에 묻혀있던 무덤의 주인은 누구였을까?
 果して安岳3号墳の被葬者は誰だろうか?

 いったい誰なんでしょうか。誰かなのは確かですが・・・。日本の歴史も東アジア全体を視野に入れて見ないと分からないような気もします。韓国の学者の書いた翻訳された歴史の本や、韓国のサイトなどで歴史を調べたりしますが、視野とか見る角度がちょっと違うんですよね。韓国は大陸の国で、日本はやっぱり島国といった違いがあるんじゃないかと思ったりもしますが・・・。今回のドラマでも、チュシンの王と言うときの「チュシン」。12月13日のブログ「韓国ドラマ・太王四神記(태왕사신기)あらすじを韓国語で読んでみる-番外編」でちょっと扱いましたが、この言葉は今回のドラマで初めて聞いて、そういった概念というのか考え方もあるのかと納得してしまいました。太王四神記を見るときは、「チュシン」という言葉に注意して見ましょう・・・。