韓国ドラマ・太王四神記(태왕사신기)を見る前にちょっと歴史のお勉強

 ペ・ヨンジュン主演の韓国ドラマ・太王四神記(太王四神紀)(태왕사신기)を見る前に、歴史的背景知識を頭にいれておこうというこの企画。広開土大王(광개토대왕)時代の高句麗(고구려)は強国だということらしいです。そしてそこには(当時の日本の呼び名)も絡んでいるんですね。高句麗(고구려)と倭(왜)のほかにも新羅(신라)に百済(백제)、そして意外に知られていない強国-金官伽揶(금관가야)。金官伽揶は朝鮮半島南部にあった伽揶諸国のうちのひとつ。日本ですと任那といわれている地域ですね。今回も前回からの続きと言うことで、www.kbs.co.krから引用させていただきます。

 고구려와 백제, 산라와의 관계는 어떠하였는가?
 高句麗と百済, 新羅との関係はどうだったのか?

 일반적으로 고구려군대는 말을 타고 만주벌판을 달리던 기마병으로 알고 있으나 고구려의 수군 또한 기마병 못지 않은 용맹한 부대였다.
 高句麗の軍隊は馬に乗って満洲原野を駆け回る騎馬兵であることが一般的には知られているが、高句麗の水軍も騎馬兵に負けず劣らず勇猛な部隊であった。

 이처럼 뛰어난 기마병과 수군을 활용한 전략으로 광개토대왕에게 점령당한 백제는 고구려에 조공을 바치는 나라가 되었다.
 このような高句麗のすぐれた騎馬兵と水軍を活かした戦略で、広開土大王に占領された百済は高句麗の朝貢国となった。

 그렇다면 신라와 고구려의 관계는 어떠했을까?
 では新羅と高句麗の関係はどうだったのか?

 광개토대왕비문에는 399년 신라의 내물왕이 고구려에 급하게 사신을 보낸 것으로 기록하고 있다.
 広開土大王碑文には、399年新羅の奈勿(ネムル)王が高句麗に急遽使者を送ったという記録がある。
 그 내용을 살펴보면 ‘사신은 광개토대왕에게 신라영토 내에는 왜인이 가득하고 성지는 파괴되었고 태왕의 신하인 신라왕은 천민으로 변해 태왕께 귀의하기를 원한다고 했다.
 その内容を詳しく見てみると、「使者は広開土大王に対して、新羅の領土内は倭人で満ち溢れ聖地は破壊され、太王の臣下である新羅王は賎民に変わって太王に帰依を乞うと話している。

 태왕은 인자히 그들의 충성을 칭찬하고 사신에게 밀개(蜜蓋)를 얘기하고 돌려보냈다.’ 라는 뜻의 기록이 있다.
 太王は慈愛をもってらの忠誠を誉めたたえ、使者にミルゲ(蜜蓋)の話をして国へ帰した」 といった内容の記録がある。

 밀개를 주어 신라의 사신을 보낸 광개토대왕은 그 이듬해 신라를 구하기 위해 5만의 군사를 파견했다.
 ミルゲ(蜜蓋)を与えて新羅の使臣を国に帰した広開土大王は、その翌年新羅を求めに応じて5万の軍事を派遣した。

 고구려의 군대는 신라를 침공한 왜와 가야지역까지 단숨에 진격해 내려갔다.
 高句麗軍は新羅に侵攻した倭と伽揶地域まで一気に南下し攻撃を行った。

 고구려군은 전투마다 승전고를 올렸고 마침내 광개토대왕의 군대는 한반도 남쪽에서 가자 강력한 철제무기로 무장한 철의 나라 금관가야를 역사 속에서 지워버렸다.
 高句麗軍は連戦連勝を続けて、とうとう広開土大王の軍隊は朝鮮半島の南方から進行し、強力な鉄製武器で武装した鉄の国・金官伽揶を歴史上から葬り去った。

 이것이 400년 신라구원전쟁이었던 것이다.
 これが400年に起こった新羅救援戦争のことである。

 이 전쟁을 계기로 신라왕은 고구려에 조공을 바치기 시작하였고 신하의 나라로써 예를 갖추게 된다.
 この戦争を契機に新羅王は高句麗に朝貢するようになり、臣下の国として礼をつくすようになった。

 日本で普及している古代史と韓国のものとでは、その内容がだいぶ違うような気がします。情報がまだまだ日本に伝わっていないことがたくさんあるような気もします。日本と朝鮮半島の古代史のことを調べていくと、韓国の情報は非常におもしろく新鮮な感じがします。こういった情報は直接韓国語で仕入れてしまったほうが良いのかもしれませんね・・・。