韓国ドラマ・太王四神記(太王四神紀・태왕사신기)を見る前にちょっと歴史のお勉強

 ヨン様ことペ・ヨンジュン(ハングル表記・배용준、漢字表記・裵勇俊、英語表記・Bae Yong-joon)主演の韓国ドラマ・太王四神記(太王四神紀・태왕사신기)は、日本で言うところの時代劇、NHKの大河ドラマのようなものかと思ったら、もっとスケールの大きな歴史ファンタジードラマ。niftyNKKの公式サイトでは、太王四神記(太王四神紀)の情報が見ることができますよ。
 ところで、高句麗(고구려)とは、広開土王(광개토왕)とは・・・。日本にも高句麗の人たちが多く渡って来ていますよね。それも、王族クラスの人たちまで渡ってきているんです。ちなみに日本の地名なんかにも残っていたりも・・・。たとえば、上部や下部。それから高向さんという人がいたら間違いありません。そのあたりは新撰姓氏録をみるとよくわかりますよ・・・。それに神社ですと高麗神社が有名です。太王四神記の放映が始まってから、参拝客が増えたそうです。ご利益があればいいんですが・・・。今回もwww.kbs.co.krから引用させていただきます。

 광개토대왕은 대흥안령산맥을 넘었는가?
 広開土大王は大興安嶺山脈を越えたのか?

 “479년 고구려는 유목민족인 유연과 함께 지두우를 분할했다” 는 기록이 남아있다.
 「479年、高句麗は遊牧民族である柔軟とともに地豆于を分割した」 と言う記録が残っている。

 이것은 고구려가 가장 멀리 진출한 기록이다.
 これは高句麗がもっとも遠くへ進出した記録だ。

 그런데 지형을 살펴보면 지도에서와 보이는 바와 같이 지두우와 고구려 사이에는 대흥안령산맥이라는 거대한 산줄기가 가로놓여 있다.
 ところで地形をよく見ると地図に書かれている通り、地豆于と高句麗の間には大興安嶺山脈という巨大な山脈が横たわっている。

 이 산맥은 고구려와 지두우를 가로막는 천연장벽의 역할을 하였다.
 この山脈は、高句麗と地豆于を区切る天然の障壁としての役目を果たした。

 교통이 발달하지 않았던 그 시절, 고구려는 어떻게 산맥을 넘어 지두우를 공격할 수 있었던 것인가?
 交通が不憫なこの時代、高句麗はどうやってこの山脈を越えて地豆于を攻撃することができたのか?

 479年というと日本ではヤマトタケル、倭王武で有名な方ですね。「使持節都督倭新羅任那加羅秦韓慕韓国六国諸軍事安東大将軍倭王」という非常に長い称号を中国からもらっています。このとき新羅は高句麗の属国というかたちになっていますし、新羅王が広開土王に新羅の領内に倭が満ち溢れといもいっていますので、倭もかなり大きな国だったかもしれませんよ。でも、ここでいうところの倭は今の日本全体ということでもないような気もします。「旧唐書・倭国日本伝」には、「日本国は倭の別種なり・・・」なんて書かれているんですものね。それに風土記のなかにも今の茨城県あたりの国の記事のなかに、「日高見の国」なんて出てきますものね。このあたりが日本史のすっきりしない部分なんですよね・・・。