三国志演義を中国語で読んでみる-桃園の誓い(桃园结义-táoyuán jiéyì)

 中国語を学習するに当たってメインのテキストが欲しくなりますが、そこで考えたのが三国志演義(sānguózhìyǎnyì-中国ですと、三国演义)を読む。語学は好きな分野を楽しみながらやるのが一番! リーディングを行うことで語彙が増えますし、一冊読破することによって自然と外国語の能力が進歩するんですよね。

 三国志(sānguózhì)といえば劉備に張飛、そして今回登場しますこの人、そうです関羽。これで役者がそろったといったところ。それでは続きを見ていきましょう・・・。

 他愿意拿出家产作本钱, 与刘备共同干一番大事业。
 tā yuànyì náchū jiāchǎn zuò běnqián,yǔ liúbèi gòngtóng gān yī fān dà shìyè
 張飛は家財を投げ打って金儲けを企んでいて、 劉備と一山当てようとする。

 刘备、张飞两人谈得投机,便一起到村口的一家酒店饮酒叙话。
 liúbèi,zhāngfēi liǎngrén tán de tóujī,biàn yī qǐ dào cūnkǒu de yījiā jiǔdiàn yǐnjiǔ xù huà  劉備と張飛の2人は話が盛り上がると、村の出入り口にある一軒の飲み屋まで連れ立って行くと、酒を飲んで話しあった。

 这时,一推车大汉进店饮酒。
 zhèshí,yītuī chē dàhàn jìn diàn yǐnjiǔ
 この時、大男が車をおしながら飲み屋に入ると酒を飲みだした。

 刘备留神一看,这人有九尺高,胸前长 须飘飘,脸色好像红枣一样,长一双丹凤眼,两条卧蚕眉,相貌非常 威武雄伟。
 liúbèi liúshén yīkān,zhèrén yǒu jiǔchǐgāo,xiōngqián cháng xū piāopiāo,liǎnsè hǎo xiàng hóngzǎo yīyàng,cháng yīshuāng dān fèng yǎn,liǎngtiáo wò cán méi,xiàngmào fēicháng wēiwǔ xióngwěi
 劉備はこの男の姿をじっと見つめる。背丈は9尺、胸の先でゆれる長い顎ひげ、顔は赤いナツメ色、両目は朱色をした鳳のように長く、2本の眉は繋がっていて、他を圧倒する勢いの顔立ち。

 刘备连忙起身,邀他过来同坐,并请问姓名。
 liúbèi liánmáng qǐshēn,yāo tā guòlái tóngzuò,bìng qǐngwèn xìngmíng
 劉備はすぐに立ち上がって、この大男にいっしょに飲みませんかと声をかけて名前を尋ねた。

 那人说∶“我姓关名羽,字云长,因乡里恶霸仗势欺人,我一怒 杀了恶霸,逃到外乡避难已有五、六年了。”
 nàrén shuō ∶“wǒ xìng guān míng yǔ,zì yúncháng,yīn xiānglǐ èbà zhàngshìqīrén,wǒ yī nù shā le èbà,táo dào wàixiāng bìnàn yǐ yǒu wǔ、liù nián le
 大男は言った : “姓は関、名は羽、字は雲長。郷里の悪辣な親玉が威勢をかって弱い者をいじめるので、憤怒やるかたなく悪辣な親玉を殺して、他郷へ身を隠して逃げること5、6年になります。”

 参考資料
 关羽(162?-220),汉族。生于东汉桓帝延熹年间,字云长,本字长生,河东解良人(今山西运城市)。三国时期蜀汉著名将领,前将军,汉寿亭侯,军事家。死后受民间推崇,又经历代朝廷褒封,被人奉为关圣帝君,佛教称为伽蓝菩萨,尊称为“关公”。三国时期蜀国名将。被后来的统治者崇为“武圣”,与号为“文圣”的孔子齐名。后人有诗称赞关羽:三国时期蜀国杰出的军事家和战略家。此外,关羽还被台湾同胞视为恩主神.

 初出の登場人物
 関羽雲長(日本の漢字)-关羽云长(簡体字)

 慣用表現
 仗势欺人(zhàngshìqīrén)

 参考にした辞書やサイトはこちらになります。すべて中国のサイトになります。
 横山光輝・三国志事典(潮出版社)
 www.baidu.com
 dict.cn
 www.zdic.net
 中日辞典(小学館)