三国志演義を中国語で読んでみる-桃園の誓い(桃园结义-táoyuán jiéyì)

 中国語には、てにをはがない。ない代わりに四声がある。音の高低で文脈を把握していくんだのだろうと・・・。膠着語と屈折語。生まれたばかりにそんなことは理解もせずに、ただ音を頼りに、そしてなぜか言葉を習得している。書き言葉ではなく、話し言葉としての言語。そして、日本には書き言葉がなかった。書き言葉は中国のlanguageではなくwordという記号を借用して、思想・政治・法律etc..を構築したんだろう、と勝手に推測。この国にも早くから文字があったら、三国志(sānguózhì)のような物語が書けていたかもしれないなあ~。人間の営みは三国志演義を読んでいると、現在の人間の精神状態とそれほど変わりません。ただ、この国に抽象的な概念、哲学的な思考を形成しうる体系を構築できる形而上的なものがなかったのかなくてもよかったのか・・・。もっと大局的な見方をして、ゲオポリティカルなものなのか。三国志の時代、日本は邪馬台国。魏に朝貢するくらいなら、歴史書ぐらいは書けなかったのかなあ~と思ってしまいますが、もしかしたら撲書にあったのかもしれませんね。日本にも正史といわれるものの他にも、歴史書といわれるものが結構ありますからね・・・。

 今回は、劉備(刘备)・関羽(关羽)・張飛(张飞)の3人が立ち上がる場面。小説のようなオリジナリティーや脚色はありませんけど、吉川英治の小説や横山光輝の漫画を読んでいる方なら想像してもらえれば、うんそうそうと思っていただけるんじゃないでしょうか。そして中国語を勉強している方なら、ここは教養としての中国語ということで・・・。

 それでは、前回の続きから・・・。

 三人请来铁匠打造兵器。
 sānrén qǐng lái tiějiàng dǎ zào bīngqì
 3人は鍛冶屋に武器をつくってもらった。

 刘备打造了双股剑,关羽打了把八十二斤的青龙偃月刀,张飞造了一支丈八点钢矛,各人又造了一身铠甲。
 liúbèi dǎ zào le shuānggǔjiàn,guānyǔ dǎ le bǎ bāshíèr jīn de qīnglóngyǎnyuèdāo,zhāngfēi zào le yī zhī zhàng bā diǎn gāngmáo,gèrén yòu zào le yī shēn kǎijiǎ
 劉備は双股剣、関羽は八十二斤の青竜偃月刀、張飛は一丈八尺の鋼の矛をそれぞれつくり、また鎧もつくった。

 他们聚集乡中壮士五百多人,浩浩荡荡到涿郡去应募。
 tāmen jùjí xiāng zhōng zhuàngshì wǔ bǎi duō rén,hàohàodàngdàng dào zhuōjùn qù yìngmù
 彼らは村の強者五百人あまりを集めると、ここぞと涿郡一沿から兵士を集めることにした。

 三人在涿郡打败了黄巾军将领程远志。
 sān rén zài zhuōjùn dǎ bài le huángjīnjūn jiànglǐng chéngyuǎnzhì
 3人は涿郡で黄巾軍の将校程遠志を敗った。

 参考資料
 程远志-黄巾军将领,于三国演义第1回登场,统兵五万进犯涿郡。幽州刺史刘焉令校尉邹靖引刘备、关羽、张飞三人,统兵五百,前去破敌。在大兴山下,两军交战,程远志被关羽一刀挥为两段,余众溃散。

 三国志演義は意外とさらっとしていますね。ここが小説家の想像力を駆り立て要素があるんでしょうね。この場面の劉備や関羽、張飛は年齢からすると20代ですから、言葉遣いも二十歳といった感じでいったほうがいいんじゃないかと思うんですがどうでしょうか。歴史小説というと若くても「お主」とか「我」とか多いんですけど、実際はどうだったんでしょうか。「僕」とかにするとリアリティーがないのかなあ~。今は中国語のテキストにピンインを付けて機械的に翻訳をしたものを掲載してますが、ただ機械的に訳してもおもしろくないので、今後はちょっと脚色を加えて訳出してみたいと思っています。翻訳というより超訳ってやつかもしれませんけど・・・。

参考にした辞書やサイトはこちらになります。すべて中国のサイトになります。
横山光輝・三国志事典(潮出版社)
www.baidu.com
dict.cn
www.zdic.net
中日辞典(小学館)