中国人と日本人が共有している道徳観-三国志と論語から「義」について考えてみる

 三国志を一貫して流れているテーマはなんだろうと考えたとき、それは「」ではないかと・・・。個性豊かな登場人物もさることながら、読んでいてスカッとするのはこの「義」があるからではないかと・・・。「義」というと抽象的で道徳臭さを感じますが、「義」とう観念はものすごく奥が深いのです。そして、ゲームの「三國志」も非常に深いのですね。「三國志 Online」のプロデューサー、上野彰三さんのインタビュー記事の中からその気概がうかがわれます。watch.impress.co.jpから少々記事を引用させていただきます。

 編集者-それでは、発表会からの繰り返しになりますが、もう一度「三國志 Online」の基本コンセプトから教えてください。

 上野さん-「乱世に己の義を示せ」ですね。プレーヤーの皆さんがやりたいことをやっていく上で、他の人とコミュニケーションを取っていく上で、自分がこうしたいというだけではなく、他人がしたいと思っていることを、しっかり感じて欲しいです。これはオフラインゲームでは絶対体験できないことで、他人がどうしたいかを感じた上で三国志の乱世の中で、自分自身の表現と、他人の表現を感じ取って欲しいと思います。
 義というと日本人はどうしても“仁義”となってしまいがちですが、三国志の武将にはもっと様々な義があったんじゃないかと思っています。関羽と張飛の兄弟愛とか、曹操を支えた夏一族とか、乱世を生き抜いたカクとか、孫家に仕えた人達とか、皆それぞれ自分の信じる義の下に生きてきたんだろうと思います。それらを全体的な表現として「乱世に己の義を示せ」という言葉に集約しました。

 「義」がなくなったら、なんでもありの世の中になってしまうような気がするんですよね。今の世の中、なんとなくそれに近い感じがしないでもありませんが、何かが足りないと感じている人は近くにいなくても、遠いどこかにいるんだなとホッとしてしまいました・・・。

 ところで「義」とはなんでしょう。論語為政編に「義(-yì)」が定義されていますので、ちょっと見てみましょう。

 (原文)
 子曰:“非其鬼(1)而祭之;谄(2)也。见义(3)不为,无勇也。”
 (注釈)
 (1)鬼:有两种解释:一是指鬼神,二是指死去的祖先。这里泛指鬼神。
 (2)谄:音chǎn ,谄媚、阿谀。
 (3)义:人应该做的事就是义。
 (訳文)
 孔子说:“不是你应该祭的鬼神,你却去祭它,这就是谄媚。见到应该挺身而出的事情,却袖手旁观,就是怯懦。”
 (解説)
 在本章中,孔子又提出“义”和“勇”的概念,这都是儒家有关塑造高尚人格的规范。《论语集解》注:义,所宜为。符合于仁、礼要求的,就是义。“勇”,就是果敢,勇敢。孔子把“勇”作为实行“仁”的条件之一,“勇”,必须符合“仁、义、礼、智”,才算是勇,否则就是“乱”。
(www.ld.nbcom.netより)

 日本でも有名な格言としてありますよね、「義を見てせざるは勇無きなり」-人として当然行うべきことと知りながら、それを実行しないのは勇気がないからである。 (excite国語辞書より)

 中国語の辞書で、義(义-yì)はどう解釈されているのでしょうか。ちょっと見てみましょう。

 ・ 公正合宜的道理或举动:正~。~不容辞。~无反顾。仗~直言。
 ・ 合乎正义或公益的:~举。~务。~愤。~演。见~勇为。

 ※合乎(héhū)
 (conform with;correspond to) : 与…协调或适应
 (square) : 表示两者正好一样,如在形状或样子上都完全一样
 (tally with) : 符合

 ・ 情谊:~气。恩~。~重如山。

 ※情谊(qíngyì)
 (friendly feelings) 人与人相互关心、相互敬爱的感情
 (www.zdic.netより)

 中国の概念と日本の概念は、ほぼいっしょですね。義(义-yì)という徳目というのか道徳観念というのか宗教的な概念は、中国から入ってきたんでしょう。その言わんとする心が日本人にもマッチしたのか、元々日本人の宗教観にもあったのか、人類普遍の徳目なのか・・・。しかし、「義」という漢字一文字に集約されたこのメタフィジカルな要素は、その後の日本人のモラル感を作っていきますよね。「義」というとどうしても歴史上の人物が浮かんでくるんですよね。大谷吉継、赤穂浪士、松平容保、江藤新平、西郷隆盛、山本五十六などなど。「義」のために命を落としたのかなあと・・・。こういった人物が日本にいたのだと思うと、日本人としては誇りに感じずにはいられません。

 国語辞書でも「義」を調べてみましょう。

 ・儒教における五常(仁・義・礼・智・信)の一。人のおこないが道徳・倫理にかなっていること。「君臣の―」
 ・血縁のない形式的・倫理的な親子・兄弟などの関係。「兄弟の―を結ぶ」
 ・(仏) 教え。教義。
 ・キリスト教で、神・人間がもつ属性としての正しさ。また、両者の関係としての正しさ。
 (excite国語辞書より)

 三国志で「兄弟の―を結ぶ」といえば、桃園の誓い(桃园结义-táoyuán jiéyì)。三国志演義でのその場面はこんな感じ・・・

 第二天,三人在园中焚香礼拜,宣誓结为异姓兄弟,三人按年岁认了兄弟,刘备做了大哥,关羽第二,张飞最小,做了 弟弟。
 (dì èr tiān,sānrén zài yuán zhōng fénxiāng lǐbài,xuānshì jiē wéi yì xìng xiōngdì,sānrén àn niánsuì rèn le xiōngdì,liúbèi zuò le dàgē,guānyǔ dì èr,zhāngfēi zuìxiǎo,zuò le dìdì)
 翌日、3人は園の中で香を焚いて礼拝をし、義兄弟になることを誓った。3人は年の順に兄弟を決めた。劉備を一番兄とし、関羽を二番目、張飛を一番下にしてそれぞれ弟にした。

 公の「義」もあれば私の「義」もありますが、「義」とは「公正合宜的道理或举动」で「合乎正义或公益的」と中国語で結論を出してみました。これは日本人も納得!!