韓国ドラマ・太王四神記(太王四神紀-태왕사신기)を見ていて気になる言葉が、「チュシンの王」や「チュシン王になる運命」などで使われている「チュシン-韓国語では쥬신」。
このドラマを読み解くキーワードは、まさしくこのチュシン(쥬신)ではないでしょうか。
でも、チュシンとはいったいどういった意味があるんでしょうかね。
2007年12月13日付のブログ「韓国ドラマ・太王四神記(태왕사신기)あらすじを韓国語で読んでみる-番外編」でもそのあたりをさぐってみましたが、今回紹介するものはまた違った見解がありそうなんですよね。
韓国のサイトeroom.korea.com-제1장 한민족의 뿌리를 찾아서-천해(天海)시대②(第1章 韓民族のルーツを求めて-天海時代)に興味深い記事を見つけました。
少々記事を引用させていただきまして、韓国語の原文をexciteの翻訳にかけてちょっと手直ししたものを見てみたいと思います。 記事は途中からの引用になります。
쥬신[朝鮮]
チュシン[朝鮮]
흔 히 이두식 발음으로 ‘조선’이라고 발음되는 이 단어의 참뜻은 과연 무엇일까? 조선의 한자 표기는 ‘조(朝:아침)’와 ‘선(鮮:빛남)’의 조합으로 ‘아침이 빛난다’는 의미가 된다. 따라서 한자의 뜻을 그대로 풀어서 ‘조용한 아침의 나라’라는 의미를 부여하고, 영문으로 ‘ Land Of Morning Calm ’으로 번역하고 있다.
吏読式の発音ではよく「朝鮮」と発音されるこの単語の真意は果して何であろうか? 朝鮮の漢字表記は「チョ(朝:朝)」と「ソン(鮮:輝き)」の組み合わせで「朝が輝く」という意味になる。したがって漢字の意味をそのまま解釈すると、「静かなる朝の国」という意味になり、英語では「Land Of Morning Calm」と訳している。
그런데, 일찍이 역사학계의 큰 스승이신 단재 신채호 선생은 『흠정만주원류고(欽定滿洲源流考)』를 인용하여, ‘조선(朝鮮)의 원래 발음은 ‘쥬신’이고 그 뜻은 ‘※1쥬신(珠申)의 소속 관경(管境)’인데 ‘관경’의 뜻은 우리 ‘‘※2배달민족이 살고 있는 온누리’라고 했다. 과연 옛 역사서들에는 우리의 조상들이 살았던 영역을 쥬신이라 표기하고 있다. 예를 들어 태고의 역사를 열자마자 대뜸 조선[朝鮮:쥬신]이 등장하는 것을 시작으로 옛 쥬신[古朝鮮]보다 훨씬 먼저 그 땅에 존재했던 쥬신(肅愼:숙신, 쑤우신)이 바로 그것이다.
ところが、かつて歴史学界の重鎮で非凡なる才能の持ち主であるシン・チェホ先生は 『欽定満洲源流』を引用し、「チョソン(朝鮮)の元々の発音は「チュシン」で、その意味は「チュシン(珠申)の所属 クァンギョン(管境)」で、「クァンギョン(管境)」の意味は、われわれ「倍逹民族が住んでいる全世界」と言った。なるほど昔の歴史書には、われわれの先祖が暮した領域をチュシンと表記してある。例えば、太古の歴史を開けばすぐにチョソン[朝鮮:チュシン]が登場するのをかわきりに、昔のチュシン[古朝鮮]よりもずっと前にこの地にあったチュシン(肅愼:晨愼, スウシン)がまさしくそれだ。
※1珠申/(만주어-満州語) = 소속(所屬), 관경(管境)의뜻(-の意味)(www.baedalmal.comより)
※2쥬신배달민족(倍逹民族)-朝鮮民族の美称。極真空手創始者の大山倍逹氏の名前にも使われています。
이들 노대국들의 뒤를 이어 같은 민족으로 같은 땅에서 흥기한 여진족도 스스로를 쥬신의 방언쯤으로 보이는 ‘주-ㄹ진[朱里眞]’으로 불렀으며, 청나라를 세워 중국대륙을 호령했던 만주족도 자신들을 ‘주신(珠申)’족이라고 불렀던 사실이 『청태조실록(淸太祖實錄)』에 분명히 기록되어 있다. ‘쥬신[朝鮮]’이라는 나라 이름은 한자가 생기기 훨씬 이전 아득히 먼 옛날부터 이미 존재하고 있었음을 잊어서는 안 된다.
これら老大国の後を引き継ぎ、同じ民族で同じ土地から興った女真族も自らを、チュシンの方言ぐらいに思える「チュ-ルチン[朱里真]」と呼んだし、清を興し中国大陸を支配した満州族も自らを「チュシン(珠申)」族だと呼んだ事実が 『清太祖実録』にはっきり記録されている。「チュシン[朝鮮]」という国名は、漢字が生まれるずっと以前、遥か遠い昔からすでに存在していたことを忘れてはならない。
『진서(晋書)』의 「숙신열전(쥬신열전-肅愼列傳)」에는 12연방국을 ‘숙신(肅愼)’이라고 쓰고 있는데, 이런 예에서 소리말을 뜻글인 한자로 쓰는 과정에서 ‘쥬신’이라는 소리를 나타낼 수 있는 수단으로 쥬신[朝鮮]과 숙신(肅愼) 등을 혼용 하였음을 알 수 있다.
『晋書』の「肅愼列伝」には12の連邦国を「肅愼」と書いてあるが、こうした例から表意文字である漢字で書く過程で「チュシン」という音を表記する方法として、チュシン[朝鮮]とスクシン(肅愼)等を混用したことを分かる。
이 세상에는 우리 민족 외에도 태양을 국명 또는 지명으로 쓰는 예가 얼마든지 있다. 그 한 예로 현대어 ‘아시아(Asia)’는 아시리아어(語)로 ‘해뜨는 곳’을 말하며, ‘유럽(Europe)’은 ‘해가 지는 곳’이다. 또 ‘아나톨리아(Anatolia: 옛날의 소아시아, 지금의 터키)’는 ‘해가 뜬다(日出)’는 뜻이고, ‘에스파냐(Espana)’는 ‘해가 진다(日沒)’는 뜻의 그리스어이다. 이러한 용어들은, 그리스의 지중해(Medit-erranean:Middle Earth Sea)를 대지의 중심으로 본 세계관의 결과이다. 이처럼 사람들은 대개 자기들이 사는 영역을 중심으로 세상을 보는 경향이 있다. 우리도 ‘우리 민족이 사는 온누리’인 ‘쥬신[朝鮮]’을 스스로 ‘가우리[高句麗: 세상의 가운데 자리]’라 불렀으며 이를 국명으로 삼기도 하였다.
世界にはわれわれ民族以外にも、太陽を国名または地名で使う例がいくらでもある。その一例として今で言うところの「アジア(Asia)」はアッシリア語で「日が昇るところ」を言い、「ヨーロッパ(Europe)」は「日が沈むところ」だ。 また「アナトルリア(Anatolia: 昔の小アジア、今のトルコ)」は「日が昇る(日出)」という意味で、「イスパニア(Espana)」は「日が沈む(日沒)」という意味のギリシャ語だ。こうした用語は、 ギリシャの地中海(Medit-erranean:Middle Earth Sea)を大地の中心に観た世界観の現れだ。 こうした人々はたいてい自分たちが住む領域を中心に世界を見るきらいがある. われわれも「我が民族が暮す全世界」である「チュシン[朝鮮]」を自ら「カウリ[高句麗: 世界の中心]」と呼び、これを国名にもした。
이러한 사실은 아직 영토 개념이 흐릿한 상태에서 우리 민족이 살고 있는 지역 즉 ‘쥬신’ 을 ‘우리의 주권이 미치는 단군 임검님의 나라’로 여겨 나라이름으로 대신한 듯하다. 그러나 시간이 흐르면서 한 평의 땅도 소중하게 생각하여 나라마다 다툼이 심하게 되자 자긍심의 극치인 ‘가우리[高句麗, 高麗, 句麗, 九禮, 孤竹, 九離]’를 국명(國名)으로 채택한다.
결론적으로 우리의 민족명은 ‘ ’이고 국토는 ‘쥬신[朝鮮]’이며 국명은 ‘가우리[高麗]’이다.
このような事実はまだ領土概念が希薄な状態から、われわれ民族が暮している地域、すなわち「チュシン」 を「われわれの主権が及ぶ檀君任儉様の国」と思って国名に代えたようだ. しかし時が経つにつれて一坪の土地さえ大切に思うと、国ごとの争いがひどくなり自負心の極致である「カウリ[高句麗, 高麗, 句麗, 九礼, 孤竹, 九離]」を国名として採択する。
結論を言えば、われわれの民族名は「 」で、国土は「チュシン[朝鮮]」、国名は「カウリ[高麗]」だ。
カウリと聞いてピンッときますね、「カウリ剣」。
ここで気になるのは「粛慎」。粛慎とはいったい? wapedia.mobiでちょっと調べてみます。
粛慎(しゅくしん、みしはせ、あしはせ)とは、満州(中国東北地方及びロシア・沿海地方地方)に住んでいたとされるツングース系民族。また、後にこの民族が住んでいた地域の名称ともなった。この粛慎という呼び名は周代・春秋戦国時代の華北を中心とする東アジア都市文化圏の人々(後に漢民族として統合されていく前身となった人々)による呼び名である。息慎(そくしん)・稷慎(しょくしん)とも表記される。
中国の周代の文献の中にしばしば見られるほか、日本の日本書紀の中にも粛慎の記述が見られる。しかし、中国文献中の粛慎と日本文献中の粛慎が同じものであるとは言い切れない。
後代の挹婁・勿吉・靺鞨・女真(満州族)と同系の民族と考えられている。
この当時の日本の支配階層はツングース系ではないんでしょうか。同じ民族系統同士でも時代が経っているということで、話す言葉も変質したんでしょうか。日本側では「みしはせ、あしはせ」なんて言ってますものね。
いかがでしたか。なるほどなるほどといった感じですね。これで太王四神記のドラマがぐっと楽しめそうです。奥が深いドラマだなあ~とつくづく感じている次第・・・。
ところで日本の場合も似たような状況があったような気がしないでもありません。「倭」ではありませんね。これは中国側の呼称。「日の本」とか「大倭」とか「大和」とか「日下(くさか)」なんて表現がありますが、民族名も国土も国名も「ヤマト」なのかなあ~。