韓国ドラマ・太王四神記(태왕사신기)をNHKBSで見ながら、高句麗(고구려)と広開土王(광개토왕)の歴史を勉強してみる

 韓国ドラマ・太王四神記(太王四神紀・태왕사신기)をより深く楽しく見てみようと、高句麗(고구려)・広開土王(광개토왕)の歴史を、韓国のKBSのドキュメンタリー番組の韓国語のテキストを日本語に翻訳しながら読んでいます。アジアに君臨した大国は中国だけではなかったという趣旨のものだと思いますが、歴史の闇に光を当てていますので、これがなかなか結構おもしろい。日本ではなかなか得られない情報が盛りだくさんといったところでしょうか。ドラマを見ながら背景知識も頭に入れておけば、よりいっそう楽しく見られますものね(^^;)。

 ところで、高句麗という国ではいったいどんな言葉を使っていたのでしょうか。その答えは韓国の歴史書「三国史記」を見ると分かります。それを見ると日本にも似たような地名があるなあ~と。詳しい情報はこちらのサイトwww.dai3gen.netの「高句麗語の研究を勉強する」を参照していただければと思います。それでは韓国語の勉強も兼ねまして、ゆっくりテキストを読んでいきましょう。こちらで扱っている内容は、www.kbs.co.krから引用させていただいております。

 무덤을 지키는 장하독의 머리위에 쓰인 묵서명은 누구를 가리키는 말인가?
 墓を守る帳下督の頭上に書かれた墨署名は誰を指す言葉か?

 장하독(帳下督)-임금이나 높은 지위의 장군 아래에 있던 군사 지휘관-NAVER(dic.naver.com)より、※韓日訳-賃金や高い地位の将軍の下にあった軍事指揮官-エキサイト翻訳(www.excite.co.jp)より

 안악3호분의 발굴이 처음 이루어진 1949년 6월에 무덤의 돌문을 열고 안으로 들어선 사람들은 깜작 놀랐다.
 安岳3号墳の発掘が初めて行われた1949年 6月、墓の石門を開けて中に入った人たちは驚きのあまり目を見張った。

 무덤의 주인공을 비롯하여 천정과 벽면에 빼곡히 그려진 벽화들 때문이었다.
 墓の被葬者はもちろん、天井と壁面にびっしりと壁画が描かれていたのだ。

 부분적으로 훼손이 되긴 했지만 천년의 세월을 뛰어넘어 우리 앞에 나타난 이 벽화는 1,600여년전 고구려의 생활상을 생생하게 보여주고 있었다.
 部分的には破損しているところもあったが、千年の歳月を飛び越えて我々の前に現われたこの壁画には約1,600年前の高句麗の生活ぶりが生き生きと描かれていた。

 일상생활을 상세하게 묘사한 풍푸한 그림들은, 기록이 부족한 고구려의 생활상을 알려주는 중요한 자료로써 학계의 대대적인 주목을 받았다.
 日常生活を詳細に描写した柔らかいタッチの絵は、記録の少ない高句麗の生活ぶりを窺わせる重要な資料として学界の大大的な注目を引いた。

 그런데 발굴 당시 학자들의 관심을 집중시킨 것이 있었으니, 보통의 고분벽화에서는 보이지 않는 글이 무덤의 한쪽 벽면에서 발견된 것이다.
 ところで、発掘当時学者らの関心の的となったものがあった。それは普通の古墳の壁画では見られない文字が、墓の一方の壁面で発見されたのだ。

 모두 68자로 확인된 이 글은 ‘동수’라는 사람의 생애에 대해 적어놓은 묵서명으로서, 무엇보다 학자들이 주목한 것은 연호가 새겨진 첫번째 구절인 ‘영화13년(357년) 10월에’라는 것이다.
 全部で68字が確認されたこの文字は「冬壽」という人の生涯について書かれた墨署名で、何より学者たちが注目したのは年号が刻まれた最初の文、 「永和13年(357年) 10月に」というものだ。

 고구려 고분벽화로는 드물게 무덤이 만들어진 시기를 추정할 수 있는 연대가 나온 것이었다.
 高句麗古墳の壁画では珍しく、墓が作られた年代を推定することができる。

 이 묵서명은 주인공이 있는 방 입구를 지키는 ‘帳下督(장하독)’이라는 관직을 가진 인물의 머리위에 적혀 있었다.
 この墨署名は被葬者が埋葬されている部屋の入口を守る「帳下督(ツァンハドク)」という官職を持った人物の頭の上に書かれていた。

 이것은 과연 주인공을 위한 묘지명일까?
 果してこれは被葬者の墓誌銘だろうか?

 묵서명의 애매한 위치는 곧 무덤의 주인공 논쟁을 불러일으켰다.
 墨署名が誰の者なのかはっきりしないまま、墓の被葬者論争がすぐさま巻き起こった。

 무덤의 주인이 중요한 이유는 묵서명에 적혀있는 연대 357년때문이다.
 墓の主(あるじ)が誰であるのかが重要なのは、墨署名に書かれている年代が357年であるからだ。

 안악3호분 곳곳에는 불교의 도입과 더불어 우리나라에서 전해진 것으로 알려진 연꽃무늬가 그려져 있는데 고구려에 불교가 처음 도입된 것은 소수림왕 때인 372년, 그런데 그보다 15년이나 앞선 당시 무덤 안에 연꽃무늬가 그려진 것이었다.
 安岳3号墳の所々に仏教の導入といっしょに我国に伝わったものとして知られる蓮華文様が描かれているが、高句麗に仏教が初めて導入されたのは小獸林王の代 372年、ところが小獸林王に先立つ15年前の当時、墓中に蓮華紋様が描かれていたのだ。

 소수림왕-(小獸林王, ?~384년, 재위 371년~384년)은 고구려 제17대 군주이다. 휘는 구부(丘夫)이며, 고국원왕(故國原王)의 맏아들이다. 키가 크고 웅대한 지략이 있었다[1]라고 한다.(ko.wikipedia.orgより) ※韓日訳-小獸林王。?~384年、在位 371年~384年)は高句麗第17代の君主。諱(いみな)はクブ(丘夫)、故國原王の長男で背が高く雄大な知略に長けていたと言われている。

 蓮華紋様とはどういうものでしょうか。実際に見たいかたはこちらのサイト-瓦歴史資料館(www.ishino.jp)を訪問してみてください。それから、壁画を見るならこちらのサイト-韓国のサイト(www.goguryeo.org)にある古墳壁画-고구려 고분벽화(Tomb Paintings of Goguryeo)で安岳3号墳(안악3호분)の壁画が見れますよ。