韓国語上級を目指して、予備知識を頭にインプットしておいてからちょっと難しいテキストを読んでみる

 前回のブログ(2008年3月2日付)「韓国語上級を目指して、ちょっと難しいテキストを読む前に予備知識を頭にインプットしておく」で、今回読みますテキストの予備知識(トルリムチャ(돌림자)とハンニョルチャ(항렬자-行列字))について書きました。上級になればなるほど、どうしても文化的な事柄について理解がないとなかなか奥のほうまでテキストが読み込めないので前回はながながと書いてしまいましたが、ここを押さえておけば今回取り上げるテキストを読みこなせるんじゃないかと思います。

 今回取り上げますテキストは、ソウル新聞 (서울신문-www.seoul.co.kr)にありました、「네티즌 칼럼 고대사산책 [2](netizen-network+citizenコラム古代史散策) [2])」の「임나관련 인물들 출신계보(任那関連 人物の出身系譜)」 というもの。日本の古代史に関するものですが、日本の学者さんがこんなことを言ったら大学をやめなければいけないかもしれませんね。個人的には在野にいるので気楽に楽しんで読んでいますが、もしかしたらもしかして・・・と思えるんですよね。大陸にある韓国と島国の日本では考え方がやはり違うんですよね、韓国のほうが古代の文明国・中国に近いせいかは分かりませんが、視野が開けていてとてもすかっとします。なんとなく東アジア規模。今回のキーワードトルリムチャ(돌림자)。これが謎を解く鍵であり、日本古代史に風穴を開けるかも(?)・・・。それでは少々記事を引用させていただきまして、読んでみたいと思います。

 ○ 阿羅斯等

 열도에 최초로 대규모로 건너가서 고대국가를 세운 사람은 기·기상에 나오는 아라시또[阿羅斯等] 또는 아리시또[阿利斯登]라고 불리는 아라가야왕이다. 아라사등이 등장하는 기·기상의 기록을 열거해보면 숱하게 있지만 그 중에서 중요한 이름만 해도 아래와 같다.

 (日本)列島へ最初に大規模に渡って古代国家を建てた人物は、記紀に出ててくるアラシト[阿羅斯等] またはアリシト[阿利斯登]と呼ばれる阿羅伽倻王だ。アラシトが登場する記紀上の記録を列挙すればいくらでもあるが、その中で重要な名前だけを挙げてもこれだけいる。

 その名前が何人か挙げられていますが、今回注目の人物は「大派王」。

 아) 서기 서명기 8년 7월조에 「大派王謂豊浦大臣曰....」라고 나온다.

 上の日本書紀の記事はこちら・・・
 《舒明天皇八年(六三六)七月己丑朔》秋七月己丑朔。大派王謂豊浦大臣曰。群卿及百寮朝参巳懈。自今以後。卯始朝之。巳後退之。因以鍾為節。然大臣不従。

 大派皇子(おおまたのみこ)というのは敏達天皇の皇子になります。

 오호마다[大오]왕=큰마다왕, 임나국인 소나가시지[蘇那曷叱知], 오호가라[意富加羅/大加羅]의 왕자 쯔누가아라시또[都怒我阿羅斯等] 또는 우시기아리시지간기[于斯岐阿利叱智干岐], 가라왕 고.노.모도간기[己本旱岐], 임나왕 고노마다간기[己能末多干岐/阿利斯等], 화·위북국조 아리시또[阿利斯登] 또는 형부·차부 아리시또[阿利斯登], 오호마다[大派]왕 등은 전부 동일인물인 것이다.

 オホマタ[大오]王=큰マタ王、任那国人ソナカシチ[蘇那曷叱知]。オホカラ[意富加羅/大加羅]の王子ツヌガアラシト[都怒我阿羅斯等] またはウシキアリシチカンキ[于斯岐阿利叱智干岐]。加羅王 コ・ノ・モドカンキ[己本旱岐]。任那王 コノマダカンキ[己能末多干岐/阿利斯等]。火·葦北國造 アリシト[阿利斯登]または刑部・チャ部 アリシト[阿利斯登]。オホマタ[大派]王などは全部同一人物である。

 ここで出てきた오호마다(オホマタ)마다(マタ)がトルリムチャ(돌림자)しているようなんですね。トルリムチャとは・・・

  • 돌림자-親戚間の同じ親等を表わすために名前に用いる共通の文字。=항렬자(行列字)(NAVERより)
  • 「一族の同じ世代に共通して用いられる字で、これによって始祖から何代目かが分かる」


 つまり、(마다-マタ)が付いていると同じ一族か同じ世代というわけなんですね。このことを頭に入れておいて、次のテキストを読んでみましょう。

 ○ 서기 민달기 14년 3월조에 임나의 부흥을 위하여 坂田耳子王을 사신으로 삼았다고 했는데 성씨록에는 아래와 같이 나온다.

 ○ 書紀の敏達紀14年3月条に任那復興のために坂田耳子王を使者にしたとしているが、新撰姓氏録には以下のように載っている。

 坂田酒人眞人; 息長眞人同祖(좌경황별-左京皇別)
 息長眞人; 出自譽田天皇(諡應神)皇子 稚渟毛二오王之後也(좌경황별-左京皇別)
 坂田眞人; 出自諡繼體皇子 仲王之後也(우경황별-右京皇別)
 坂田宿니; 息長眞人同祖 應神皇子 稚渟毛二派王之後也...(좌경황별-左京皇別)

 トルリムチャしてますね・・・・

 오끼나가[息長/氣長]는 가야계 돌림자이며 응신과 계체는 동일인물이고 응신의 황자 치정모이파왕과 계체의 황자 仲王도 응신이다. 사까다[坂田]씨는 가야왕족 응신의 후손인 것이다. 마다[오/派]는 가야왕족 수직돌림자 '마다'계열 이칭이며 후다마다[二오/二派]는 二世末多王이라는 뜻이다. 아라사등이 고노마다간기[己能末多干岐]>큰末多王이므로 그 2세라는 뜻이다. 왜인이 아니다.
 オキナガ[息長/気長]は伽揶系のトルリムチャで、応神(天皇)と継体(天皇)は同一人物で、応神の皇子・稚野毛二派皇子と継体の皇子・仲王も応神(天皇)だ。 サカタ[坂田]氏は伽揶王族応神の子孫である。マタ[오/派]は伽揶王族の直系トルリムチャ「マタ」系列の異称で、フタマタ[二오/二派]は二世末多王という意味だ。アラシトがコノマタカンキ[己能末多干岐]>큰末多王ということなので、その2歳という意味だ。倭人ではない。

 いかがでしたか。トルリムチャ(돌림자)から歴史を読み解く。日本ではなかなかお目にかかれない説ですね。トルリムチャは韓国だけでなく中国や昔の日本でもありますが、伝統や風土というのはそう簡単になくならないものですよね。その国独自の泥臭い部分というのか、また国民気質というのもなかなか変わらないもの。

 日本の古代史も東アジア全体でとらえることが必要なんじゃないかと、ちょっと偉そうに思っています。そのためには韓国語はもちろん中国語も知らないといけないかもしれませんね。日本は倭人の住む国と中国の歴史書には書かれていますが、一般の人はともかく政治の世界というのか指導者層はどうもわかりませんよ、これは・・・。「新撰姓氏録」という本を見るとその答えが分かります。

 でもいつももやもやしているのは、高句麗や百済では官吏だった人で日本に渡ってきて庶民になった人は朝鮮半島出身なんですよ~と言っている人が多いんですけど、政治の指導者層になると公に口にしないような気がするんですよね。何か隠しているようで・・・。それと、中国に使節として行って皇帝に謁見するんですけど、中国の人は倭人という認識なのか、同じモンゴリアンで識別できないのかどうかは分かりませんが、「あれ? 君、百済人じゃないの?」とは言わない。

 「梁職貢図」で検索して「ササン朝の人物画(heartland.geocities.jp/zae06141/iranhistory54.html)クリックしてみてください。倭国使つまり倭人の顔が見れますよ。これを見るとわたしたちの心象に焼きついているものと違うような気がするんですよね、むしろ「百済国使」のほうが慣れ親しんでいる心象風景。ということは、日本の政治上層部はもしかして・・・。