IndividualismとHonesty-心のもやもやはどうしたらとれるんだろうか

 人が寝静まる頃仕事をしていると、人間以外の生き物によく合うんですよね。なかなか昼間にお目にかかれない、普通なら動物園でしか見られない動物たち。それは、キツネとタヌキ。こちらの存在に気づくとすぐ逃げてしまうんですけど、夜が明けるまでエサを求めて歩き回っているのかなあ~、ご苦労様ですと。いろいろ大変なんだろうなあ~、人間さんもいろいろ気苦労が多いんだようと話しかけてみたくなったりも・・・。

 日本という社会のなかに存在する自分というものを客観的に見続けてきて、ここが限界と思われる部分があるんですけど、その限界と思われる部分がなかなか掴めない。大学生の頃、この掴みきれない部分を言葉に置き換えて処理することによって心の開放感を覚えたことをきっかけに、悩んでしまったらその掴みきれない抽象的な観念を、小説などを読むことによって具体的な概念に昇華させることを実践してきましたが、最近ではなかなかその方法でも処理が難しくなってきているようで、さあどうしたものかと思っているところでして・・・。

 外国語をいろいろ勉強してみても、根本的には日本人の精神風土というものはなかなか抜けないもので、かといってその風土となんとか折り合いをつけようと思いながら、新しい哲学や思想を求めて外国語を勉強してみてそれなりの収穫はあることはありました、「Individualism」や「existenlialism」。

 「Individualism」、日本という文脈には合わないような気がしますね。やっぱり、「世間」。

 でも、最近のもやもやっとした気分は「Individualism」で概念では解けないのか、そのレベルではないのかちょっと苦しむところ。「Individualism」で検索してみても心の襞を揺さぶる文言に出会わないのですね。なにかこうfeelingとかemotioanlの感じなんでよね。

 で、いろいろと検索したり考えた挙句に見つけた言葉が「honesty」。「honesty」で検索すると、う~ん、読むと辛くなるなあと思うサイトがありました。英語という言語というよりか、西洋の科学というのは心も科学してしまうし、事象を言葉にしなければ気がすまないというのか、日本人の自分としてはこういうのになれていないせいか、こういう風に言われるさらに落ち込みそうです。ちょっと読んでいて怖くなってしまったサイトはこちらです・・・

 Psychological Honesty(http://www.guidetopsychology.com/honesty.htm)

 で、その中でもこころに響いたのが、この項目-「Fear of Honesty」。ちょっとその下りを引用させていただきます。

 Many persons balk at the idea of emotional honesty for fear of its social consequences. “But if I’m honest with others, they will reject me and I will lose their love,” you might say. Well, there is really only one answer to this concern: If others reject you because you are honest, then you never had their love in the first place. All you risk losing by being honest is the illusion of someone’s love. In this sense, you have nothing to lose in being honest because you may have already lost it anyway. Think about that.

 う~ん、まいったまいったというところですか。確かに「honesty」の状態のときは、心がもやもやしたり窮屈感がないですね。それと、書いてある内容は英語でも日本語でもいっしょなんだけど、英語で読んだほうが素直に受け入れられる。どうしても日本語だと「世間」というものが裏側に透けて見えてしまうせいか、なぜか「honesty」に受け入れられないんですよね。英語というのはこんなときに意外と役立つものです、あくまでも個人的な見解ですけどね。